
1.天国に一番近い里
「最初は菜の花とハギを植えとったんよ」。88歳の日高忠正さんは、懐かしげに振り返る。「天国に一番近い里」の愛称で、4月中旬になると約2300本のハナモモが咲く島根県邑南町上口羽の川角(かいずみ)集落。今では数千人が訪れる花の名所だ。
旧JR三江線口羽駅の近くから車で約3キロほど上った山あいの集落は、明治時代以前は「たたら製鉄」に使う砂鉄を採取する「鉄穴(かんな)流し」が行われ、山を削った跡にできた約10ヘクタールの棚田でコメを作り、1950年ごろまで三十数戸に100人以上が暮らした。
しかし、過疎化は進み、田んぼの半分を雑木や草が覆い尽くした。90年代、心を痛めた集落の住民が放棄地に菜の花やハギを植えた。2001年、その様子を取材に来た新聞社に日高さんが「高齢者ばかりで天国に一番近いムラだ」と笑って答えた言葉が、記事の見出しになった。
「天国=桃源郷」という着想も加わり、ハナモモを植えることに。06年に地元の小学生と一緒に植えたのを手始めに、30人ほどになった住民が総出で毎年、50アールずつ、荒れた田の草を刈り、苗木を植え続けた。午前中から作業して、昼からは和気あいあいと酒を酌み交わした。
月日は流れ、今、集落に住むのは10人ほどになった。平均年齢は80歳を超える。ハナモモの周りの草刈り作業も、集落外の住民たちの助けがなければ成り立たない。それでも花を植え続けたのは「いつか、この集落に人が帰ってくれれば」という、みんなの願いだった。
そんな思いを受け、昨年から集落の出身者が、帰省を兼ねて草刈りに汗を流すようになった。集落内には最近、三次に住む若者が日本人形を展示する施設もオープンした。「春になると多くの人に来てもらえるのがうれしい」と話す日高さんは、今年も見事に咲いたハナモモをめでる人たちを心待ちにしている。
写真1:白やピンクのハナモモと菜の花が咲き誇る川角集落
写真2:鮮やかなハナモモが訪れる人を楽しませている


- もりた・いっぺい
- 1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。